リフターコラム

俺はグレート♪ 伝説論/第1部

90キロ級世界男子パワーリフティング選手権第2位/3回(84年、85年、87年)日本介護スポーツ研究所  代表 前田都喜春

はじめに

重力運動は「抗重力筋」を鍛える体幹運動である。パワーリフティングはこの体幹部分を鍛える素晴らしい種目として注目を集め、選手寿命も長く、高齢者の活躍も目立っている。
パワーリフティングは3種目で構成される。体の弱い人が、丈夫になりたいと体幹部分を鍛えるために運動を始め、強く、丈夫になり、自信を深めて生活リズムが好転する。
3種目の中でも、日本人体型は胴長・短腕のため力学的要素の強いデッドリフトを苦手としている。
これを如何に強くするか・・・、
不得意種目デッドリフトの克服は永遠のテーマだと諦めていたのではパワーリフターは勤まらない。
デッドリフトは不利だからこそ、克服する・・・。
弱いから強化する・・・。
薬物や新サプリメントに頼らないで根幹を強くする。その強化こそが個々の財産になって自信を深める。その絶対姿勢が練習で必要であろう。筆者は昔も今もノン・サプリを貫き、常に強化を主体として不得意種目を克服してきた。その遠い道のりを語り部となって訪ねてみたい。さあー、デッドリフトの克服を始めよう。


1.理念ときっかけ

きっかけ

筆者は昭和49年(1974)、30歳のときにパワーリフティングを開始した。それから33年の月日を経て、還暦を過ぎた今、1時代を築いた語り部の歴史を振り返って見たい。
競技の生い立ちから見ると、IPF設立は1971年、JPA設立が1972年、愛知県協会設立記念大会が1974年である。その記念大会において30歳90キロ級でスクワット=195キロ、ベンチプレス=105キロ(当時は2種目のノーギア競技)第2位が歴史上の出発点であった。


筆者は大学時代ウェイトリフティング部に3年間所属し、最初の練習でスクワット60キロ、ベンチプレス40キロだった。大学卒業後7年間は仕事に没頭してブランクがあった。何も運動していない状態で愛知県設立記念大会に準備期間1ヶ月で参加して始めての”パワーリフティング記録”が第2位の成績だった。翌年1975年、全日本大会に初参加して90キロ級でスクワット215キロ、ベンチプレス135キロを挙げて、ミドルヘビー級第2位(2種目時代)となった。当時の体重は82キロぐらいで、新しい競技パワーリフティングはボディビルと2団体あり、まさしく黎明期の時代で、パワーリフティングが何もわからない暗中模索の時期だった。


理念
①.相違と工夫(黎明期はとくに必要)
②.強化をすれば、必ず強くなる。その実践。
③.サプリメント(プロテインやアミノ酸)は両刃の刃で、決して魔法の粉ではない。
内臓疲労を引き起こし、腎臓疲労から顔面崩壊が(変形)が起こり、
老化・衰退化を先取りする浦島太郎だ。これを栄養剤汚染という。
④.ノン・サプリを貫く意志と、薬物やサプリメントに頼らない地力の勝負。

 

 

 

→第2回 歴史的背景

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