リフターコラム

俺はグレート♪ MAEDA STORY ZERO
位牌のない家

90キロ級世界男子パワーリフティング選手権第2位/3回(84年、85年、87年)日本介護スポーツ研究所  代表 前田都喜春



位牌のない家の経験則

ドキュメンタリー劇場・・・、語り部として62年の人生を考える・・・!?

 

5.要 約

(1)1人1人は自由の自由航路。海図のない、羅針盤のない行動系となるため「集団性を身につけ、一番大切なものはこれだ」と示してくれる”語り部たち”の重要性は推して知るべし・・・。
語り部のいない、あるいは『位牌のない家』の宿命とは、何も託されない自由の身から出た錆であり、「家族を守る」という一番大切な意味や自立さえも知らずに社会の中で浮遊する危険度になり、バーチャル思考の危機的迷走を繰り返し社会貢献さえも知らずに恐ろしい末期現象を迎える。

(2)改善策;集団性を身につけ、『語り部たち』の存在に巡り合えれば、そしてそれを素直に聞く耳を持てば、それは海図となり、羅針盤となって人生航路を周到に準備して乗り切ることができよう・・・!
「位牌のない家」とは自由放任主義とは表裏一体の関係にあり、指導性と教育的示唆を欠く所産であって、社会的経験不足や協調性のない新人類を誕生させる欠落性を意味する。社会の反面教師としてそのいく末のなれ果てが問われる。

(3)人生最後の砦は、誰が・・・、どのようにして守るのか・・・!
①.1つには、インフォームド・コンセントの必然性
外に出る人々の宿命。それは何も託されない自由の身と引き替えに効率の悪い試行錯誤のバーチャル世界に身を置く実存の生活習慣があること。
世の中の多くのヒトが外に出て・・・、新しい家族単位を創る。新しい風を受けて自由に振る舞う、理想のように見えるその日常生活の中にこそ、実は人間行動の習慣性から歯止めが効かない自由主義の落とし穴が待ち受けている。
②.ヒトは自己の尊厳と誇りを持って新しい単位系をつくり、家族を守る意志を構築しなければならない。それが人的成長に伴う親の義務であり、なりふり構わず一生懸命に生きる「親の生き様」こそ、親の務めがあると言える。
つまり、『自分の家族は、自分達で守る!』という強い信念と、夫婦は二人三脚で一歩を踏み出し、終生の単位を守り切る絶対姿勢が必要となる
③.新しい家族単位;
「位牌のない家」の恐怖とは、誕生したときから蝕まれる人間行動の愚かさに尽きる。その中でも、「親の生き様」を認識し得ない行動系が迷走を繰り返し、多くの悲劇を生み出していく・・・。例えば、動物園で生まれ育った動物は、生きるための本能をまったく知らないという。”本能を置き去りにした”野生環境の放棄が「子供や家族を守る」という本能を放棄した人間行動と同意になり、人間行動の愚かさを物語る。
④.経験は人を創る;
人間は体験や経験則により、あるいは優れた先人達の生きた教材を知り得たり学んで知識を吸収し、知恵を絞り、自立して歩み出すきっかけをつくる。
これを知らずに進めば、『海図のない、バ-チャル思考の危機的迷走』に陥り時間と労力に多くの無駄を出して行き詰まり、航海技術を覚えた頃は晩年に差し掛かり、残された時間を大いに悔やむことにもなろう。
世の中ではそれを『大器晩成だ!』といって慰めるが、それでも事故や災害もなく、一輪の花が咲けば”良い人生だ”と最大評価で受け止められる。
それら有為な体験や経験則こそが、実は、次世代の若者たちの新しい羅針盤となり、応用技術を説く蘇生術になるのであろう。熱意のある人々に活用されるとき1つの使命感を果たす道は生まれてくる。
⑤.そして今、大海原を飄々と渡る小船たち。その漕ぎ手に付きまとう自己決定の領域にあって、その人生航路には、必要な海図や羅針盤が何も組み込まれていない。つまり、ヒトは知恵がある分だけ集団性を放棄し、自由を選択した結果、賢者が細心の注意を払って安全に渡りきるか、無謀な人々が多くの傷を負いながら経験則で晩年に有為とするか、あるいは傷の大きさに潰れていくのか、千差万別の人生ドラマは軽快に始まりつつ、幾つもの落とし穴が待ち受けて悠久の時間だけが過ぎていく。その人生は、我が人生なり・・・。
◇どの経路が一番安全かは、誰にも、何も、方法さえ分からない・・・。
◇ヒトは集団性を放棄し、試行錯誤を繰り返しながらも、歩いたところに道ができる。みんな、あとになって気付く愚かさに至り、人的成長を伴う。


MAEDA STORY ZERO 完


 

 

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