リフターコラム

俺はグレート♪ 伝説論/第1部

90キロ級世界男子パワーリフティング選手権第2位/3回(84年、85年、87年)日本介護スポーツ研究所  代表 前田都喜春


強化デッド論

1984年、試行錯誤の末に到達した最強の強化理論は、圧迫された苦しい姿勢と有利なるスモウ・スタイルにより応力解放という両論があってこそ成り立つ=プレ・ストレス法であり不得意種目の克服は、一方だけの練習では健全な発展は求められない。
①.方法;台上から、手幅を広くして、強い前傾姿勢で、背筋をまっすぐ伸ばして、膝の角度が90度になるぐらいにして、股関節に圧迫を感じるぐらい強烈な脚力+背筋力でグイッと引き上げる究極のスタイルが最強の強化理論である。当初は腰が痛くなり、自動車を運転できないほどの強烈なインパクトが与えられた。
②.この前傾姿勢で重要なことは、大腿部が水平ぐらいになること、背中を丸くしないことの2つを守る。そうすると、股関節(ヒップジョイント)に荷重が引っ掛かるようになるので、この3点から強烈なインパクトで引き上ると、主動筋+膝の内側広筋が効果的に強化される。
③.背中を丸める不利益は、膝の角度が鈍角になり強化理論の効果が半減する。背中をまっすぐ伸ばし、大腿部が水平ぐらいになると股関節に圧迫を感じて、引くときに力を体感できる。
④.利点;大腿部が水平ぐらいになると、スクワットで水平の位置から立ち上げる角度と同じとなり2次的にスクワットの立ち上がり姿勢に極めて大きな効果をもたらすことが分かるであろう。
⑤.しかしながら、当初はこの強化理論が本当に良いのかどうか、まったく予測がつかなかった。誰も知らない始めてのことで、どこに効くのかも分からないまま「強化デッド」の練習を始めた。怖いー、故海野会長から言われたので、恐る恐る、少しづつ、この強化理論に取り組んでいったのが本音でもあった。
⑥.ところが2ヶ月経過した頃から、次第に「膝の内側広筋」が大きく変化していることに気がつき、デッドリフト効果とともに、水平の位置で粘り強い力の原点が形成されるようになってきたではないか・・・。スクワットで下までしゃがんでも粘り強く立ち上げれるようになり、スクワットの2次的効果が立証されてくると、最強の強化法はこれしかないと確信するようになって一心腐乱に練習を繰り返していった。
⑦.『強化デッド』の成果は、翌年の1983年全日本パワーリフティング選手権大会(東大)において、90キロ級でトータル840キロ(スクワット=342.5キロ、ベンチプレス=170キロ、デッドリフト327.5キロ)という歴史的最高記録を出すに至った。
⑧.さらに翌年の1984年、愛知県パワーリフティング選手権では100キロ級で(91キロぐらいの体重)でトータル842.5キロ(スクワット342.5キロ、ベンチプレス170キロ、デッドリフト330キロ)の日本最高記録を樹立した。なお、デッドリフト第3試技の335キロは膝まで浮いたが、手が滑り落とした。
⑨.この時代はプロテインの全盛時代で、アミノ酸系サプリメントはまだ開発されていなかったが、筆者はノン・サプリを貫き、家族と同じ食事で、強化こそ全てと機械的に繰り返した。
誰もが最初から強いのではなく、強くなるために『強化』を先攻し、最高の結果を出した。
誰もが強化をすれば強くなれるという理念が生涯の財産記録を生み出したと言える。

⑩.この稀な強化理論はデッドリフトだけの効果に止まらなかった。『マエダ式スクワット』というウェイトリフティングの一番低いところから立ち上がる独特のリバウンド・フォームを完成させた。
瞬間的なリバウンド(水平位置で膝を広げてしゃがみ込み、膝を絞りながら立ち上がる一連の動作)は水平位置の立ち上がりを完璧に求めるので、衝撃荷重となる筋の強さが得られる。
その結果、1984年6月の全日本パワーリフティング選手権(39歳7ヶ月)で90キロ級スクワット=350キロの日本最高記録を出すことができた。デッドリフトの強化理論は『膝の内側広筋』の偉大さに尽きよう。
⑪.最終章の語り部;当時『強化デッドによる記録の伸び』は無限であるかのように見えたが、ピーク時は40歳、1984年12月~翌年の1月の酒宴にかけて生体のピークアウトが酒から来訪した。

 

 

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→第5回 酒に溺れて

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