リフターコラム

俺はグレート♪ MAEDA STORY ZERO
位牌のない家

90キロ級世界男子パワーリフティング選手権第2位/3回(84年、85年、87年)日本介護スポーツ研究所  代表 前田都喜春



位牌のない家の経験則

ドキュメンタリー劇場・・・、語り部として62年の人生を考える・・・!?

 

2.わが父の人生とは

 ①さて、父の人生とは『二男坊として外に出る宿命』があり、海図もなく羅針盤もない新しい世界に飛び込み、父親の両親が右足障害者の息子に手に職を付けさせようとした親心から、当時は遠い犬山・城東村から常滑の地まで送り出した親の願いが、ようやく、その地で花を開き実を結ぶようになった。
それは、人生最終章の47歳になってからの努力過程であった。それは”右足障害者”の男が、自分の生きる道を必死に探し続けた『人生物語』でもある。
②その地で地縁、血縁、金もなく、それでもゼロから出発できたのは、実は”右足障害者”というハンディ枠を持って常滑の人々にうまく理解してもらったからこそ、また、それを支えてくれた大勢の人々が常滑の町にはいたからこそ、ハンディ枠はハンディにはならず、逆に心と仕事の支援を受けてゼロから懸命に出発できたという大きな武器となって、父の信念は盛り上がり、やがて、丈夫な左足だけでも出来る『自分の仕事』を捜し出し、その技術を覚え一心に打ち込んで、やっと家族が生きていける道を選ぶことができたと思われる。
③勿論、ハンディ枠を持った故人の努力はいうまでもない。それにかかる負担を家族みんなの協力体制で乗り切り、無言のうちに子供たちに身体で教え込んだ『親の生き様そのもの』が生活防衛協力隊として成り立ち、また無意識のうちに子供達は自分の性格にあった生活基盤をつくり、協調性の高い人格形成が為されたのではないだろうか・・・。


3.「荷車」引きの実用的な効用!

中学3年間の家業の手伝い。重い荷物を積み込んで運び出し、重い「荷車」を引いて常滑の坂道を歩いた遠い道のり(当時はそう思った)、今思えば、同級生がクラブ活動に専念する時間は、家業の手伝いをするため重い「荷車」を引く労働時間にあたり、スポーツをやることが出来なかった中学時代・・・。


①.みんなと一緒にあれほどやりたかったクラブ活動の時間だったが、今思えば無意識の内に、スポーツ選手に一番必要な”足腰の鍛錬”をこの「荷車」引きで3年間も養成していたのだと思う、とても大切な力の思春期につながり、今になって大変感謝している。

②.その結果、若いときに溜め込んだ
「力」そのものを、素朴に表現する素晴らしいスポーツ『パワーリフティング』の世界へと導いてくれたのは、父親の無言の指導ではなかったのか、誰にもできない無意識の育成過程が自然と行われていたのではないか!(本当は、運搬役だったが・・・!?)

③.すなわち、父親の体が五体満足であったら、力の溜め込みは到底あり得ないし、
力を表現する「パワーリフティング」の世界に関心すら示さなかった筈・・・。
「荷車」を引くことは何の苦労もなかったが、その姿を、中学の同級生に見られることが恥ずかしい!?・・・これが思春期の『心』であったが、このような経験則から言えば、
苦しいことや恥ずかしい!と思うこと、人が生きる生き様に際して無駄なものは何一つ無いんだと感じるとともに、それは将来、何かに役立つことや、自然に将来への道につながるんだと感じられた。

 

 

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