リフターコラム

俺はグレート♪ MAEDA STORY ZERO
位牌のない家

90キロ級世界男子パワーリフティング選手権第2位/3回(84年、85年、87年)日本介護スポーツ研究所  代表 前田都喜春



位牌のない家の経験則

ドキュメンタリー劇場・・・、語り部として62年の人生を考える・・・!?

 

(2)集団性を放棄した人間と社会性のない自由(放任)主義の罠

位牌のない家
;それは家族単位を離れ、独立し、外に出る人々の宿命的な総称をいう。それは、婿養子以外は例外なく新しい単位系となり、海図を持たない、あるいは羅針盤を持たない新しい家族単位が誕生し、語り部のいない家族単位を創出する。この単位系は非常に危機管理が低く、行動障害に身を置くことになるであろう・・・!?
多くの場合、試行錯誤の連続から危機的迷走が繰り返されるバーチャル思考に遭遇し、多くの行動障害を招く傾向が強い・・・。

①.1代目;親が二男坊で「位牌のない家」に育ち、子の成長過程がさらに二男坊であるとき、全てが新しい単位系の創出になり『家族を守る、家を守る』という観念さえも、あるいは家族の意志さえも無視して「何でも自由だー!?」という錯覚が芽生えて、脇の甘い環境に身を委ねることになろう。
②.2代目;その二男が結婚・独立し、新しい単位系(2代目)を創造していくと、そこはまた「位牌のない家」であるから・・・、「何も託されない自由の身!」に浸かり精神的緊張を解放し、危機管理のない人間行動を生み出していく。
つまり、「何をしても自由だ!」「家は自然にあるもの!」、何もしなくても守れるんだと能天気な考え方になり、危険度が極めて高くなる。
「位牌のない家」の経路;図ー1参照。
新しい単位を創るとき、自分の『住みか』は自分で造るべき大きな仕事があるが、これが、外に出る人々の「宿命」として控えていることに留意しよう。

◇位牌のある家;語り部のいる単位系で、家族を守る姿勢が常に語られる。

◆位牌のない家;語り部のいない家族単位で、「何でも自由だ」と錯覚し、
目的意識や危機管理に乏しく危険領域に侵略されていく!


 

 

 


位牌=長男
新規=長男以外


 

図ー1 代々続く「位牌のない家」の危機管理

 

※長男は親の墓を造る(あるいは守る)、二男は親の墓を造ることはできない。
※外に出る宿命(二男);自分の子に墓を造ってもらう立場や、何でも自由だと思ってしまう脇の甘さや、自由奔放な怖い人生が生起する。

④.自由度;檻を解き放たれたライオンが荒野を飛び跳ね、際限なく自由に振る舞うように海図のない世界に飛び込み、集団性を放棄し、誰も示唆してくれない自由奔放な状況の中で、より多くの危機的迷走が生まれる。

⑤.
「自由の風」を受ける理想の姿;『何も託されない自由の身』とは、手伝う意識はあっても、基本的に『自分が家族を守り、家を守る』という観念や危機意識に乏しく、別の世界に埋没してしまう恐ろしい末期現象の始まりを指す。
ある面では、戦後60数年を経過してきた日本国の
『自由度』と同意であり、その落とし穴とでもいうべき真の姿が問われているかもしれない・・・。
何でも
”個人の自由”だと思い込む生活習慣は、ついに歯止めが効かなくなり全てを失った時点で、ようやく事の顛末に気づく末期現象が待ち受けている。

⑥.これらの事実を総合すると、世の中で外に出る家族単位は多い。その全てがこのようになるとは言えないが・・・、そうなる確率は非常に高いと言えよう。
いつまでも自己の活動基盤(自立心)を見つけられないことや、
「家を守り、家族を守る」という自覚に乏しいヒトは、大きな危機感を迎えることになろう。

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